ローカルでの働き方Work style
豊かさを
農で伝える
おじいちゃん、おばあちゃん
大人や子ども……
たった24人の限界集落
少ないからこそ
みんなでひとつ
農で地域と街をつなげて
多くの人たちの未来へ
国内でも珍しいフルーツほおずき。皮をめくると小粒で黄色のほおずきが。程よい甘さがじんわりと口に広がる。
ある日、東京の食品関連会社に勤務していた村上さんに転機が起きる。会社が別府市で農家を探していたが、適任者が見つからない。そのため、自ら地縁ゼロ経験ゼロにも関わらず、退職して別府の農地に飛び込んだ。試行錯誤を繰り返して、黒人参などの西洋野菜やハーブ類を育てて前職の会社に販売する日々。しかし、1年半あまりで会社が事業から撤退。頼りの取引先がなくなり、新規の販路開拓を余儀なくされたのをきっかけに、改めて農業ビジネスに真正面から向きあい始める。
地元の農家さんと相談しながら、魅力的な商品の開発・企画・販売を手がける村上さん。
別府で最初に借りた農地はあまり良い条件ではなく、良質な土壌を求めて日出に新たな農地を借りた。そして同時に、借りた倉庫や一軒家を利用して、農業関連のワークショップや民泊を通じて、外部の人との交流を増やしていった。さらに村上さんは、別の農家さんのジャム制作や手作り体験などを経て、6次産業化・10次産業化(※)での協働の楽しさや、販路開拓に目覚めていく。
実り多い九重の山でできた梅をシロップ漬けに。豊かな自然が、日々の食卓を豊かにする。
移住した後に明確になったやりたいこと、住みたい場所
「稼ぐことで地域は育つ」と、体験を通じて感じてきた村上さん。その時に知人の紹介で訪れたのが、現在の住まいである九重町・野倉地区だ。付近には、ミツマタの群生地があり、黄金色に輝くフワフワとした花があちこちに咲く姿は、まるで絵本の世界のようだった。この場所をなんとかして盛り上げたいと、村上さんはすぐに群生地を会場にした音楽イベントの手伝いに関わった。その中で、野倉地区への移住を考えるように。
ミツマタの景色に出会った年から実行委員会のメンバーとして参加。イベントを仕掛け、多くの観光客を出迎える。
しかしながら僅か10世帯、平均年齢も60歳以上とまさしく限界集落そのもの。ハードルは一見高いように見えるが、村上さんはそんなことも厭わず、別府と日出の畑を手放し、野倉地区で自宅を購入。2019年春に本格移住した。今はこの場所で地域資源を活かし、6次産業化・10次産業化に取り組んでいる。
多種多様な野菜を育てる畑で、ダビデの星と呼ばれる切り口が星形になるオクラを収穫する村上さん。
支え合うことが当然のまち
「 野倉は、ほかの地域と比べて幸せな人が多いなと感じています。構いすぎるくらい、人に手を焼くし、相互協力が当たり前として成り立っている。どの世代でも緩く関わりあっていることが魅力的ですね」
野倉地区の人たちは、それぞれが子ども、若者、お年寄りと、世代ごとのコミュニティもありながら緩く繋がっていることが魅力のひとつだそうだ。例えば、流し素麺のイベントでは、竹の準備などは大人がするが、いざ本番の時には手伝っていた大人がいないということもざら。自分が参加できなくても手伝いはする。支え合うことが当たり前な空気感がこの地区では当然となっている。
地域に人達と取り組む自然薯畑。満開の自然薯の花は、揺れると甘い香りが鼻腔に触れる。
現在、村上さんを筆頭に、自然薯プロジェクトを立ち上げ、冬の新たな特産品を作ろうと周辺集落を巻き込んで作っている最中だ。土壌が豊かで、冬の気温が他地域に比べても寒いので、長さ2mほどの自然薯が出来上がる。九重の特産品として口にする日は、そう遠くないかもしれない。
「農家って、いちばん最初に美味しいものを口にできる。それが何よりの喜びなんです」と語る村上さん。
自分の手で地域も人生も切り拓く
移住後は、ミツマタ群生地でのイベントの他に、自身の畑や自然薯の農作、米農家の商品企画などに携わる。そんな彼女を、地域の人達は歓迎してくれているという。「こうしていろんなトライ&エラーを繰り返していくうちに、自分の居場所とやりたいことが明確になりました」と村上さんは満足気に振り返る。
外からの目線で眠っている価値を発掘し、住民と共に育てる。するといつしか地域を活かす産業となり、自分にしかできない仕事になる。移住者ならではの可能性があることを、村上さんの生き方が教えてくれる。
同じ九重町にある、ミシュランガイド大分に掲載の料理店「ビストロ ル・ラパン」へ、生産物の納品がてら相談中。
6次産業化・10次産業化
6次産業化とは、農作物を生産だけでなく、加工から販売まで行うこと。10次産業化とは、さらに農園体験などの付加価値をつけること。