福祉・医療スキルアップ移住推進事業

40代の移住と転職への挑戦!
「ゆとり生活」と「夢」を手に入れた元大道芸人保育士

佐藤政和(さとうまさかず)さん(53才)/ 東京から宇佐市へ移住。移住歴10年 / 所属:泉光こども園

そもそも「移住(田舎暮らし)」には興味があったのですか?

はい!とてもありました(笑)私自身は、生まれも育ちも東京で 皆さんがよく言う「故郷」という言葉に、幼い頃から憧れていました。「いつかは田舎暮らしをしたい」とずっと思っていたのです。あと、妻の故郷が大分県宇佐市だったので、結婚後に「田舎暮らし」への想いは更に強くなったと思います。

想いだけではなく、実際に行動に移した経緯は?

東京の暮らしに少し疲れた気持ちや、東日本大震災のことなどいろいろありますが、一番の目的は「子育ての環境作り」ですかね。子どもが3人いるのですが、以前から「豊かな自然の中でのびのびと成長してほしい」という想いがあり、長男が小学4年生になった頃に「移住するなら今しかない」と、妻に相談しました。

奥さんの反応はいかがでしたか?

大反対でした(笑) 仕事のこと、東京で築いた人間関係ことなど、やはり心配なことも多くあり、最初は大反対されましたが何とか説得して、妻の実家がある宇佐市に移住することができました。

大分の生活、実際には戸惑うところや困り事はなかったですか?

強いて言えば「人との距離感が近い」ということに、最初は戸惑いというか…不思議でした。毎日、地域の方が声かけてくれたり、子どものことを一緒に心配してくれたり、あと…野菜や魚をくれたりとか(笑)。「なぜこんなに良くしてくれるのかな?」と…。この「ご近所付き合い」という人の温かさも、東京で暮らしてきた私にはとても新鮮でした。

お仕事はどうされたのですか?

元々、東京で介護職に10年以上、従事していました。そして介護職の傍ら大道芸人としての活動も行っていました。ですので、移住した当初は福祉施設で4年ほど仕事をしていました。

それがなぜ保育士になったのですか?

大分でのゆとりある生活を送っているうちに思い出したことがあるんです。それが若い頃の「夢」です。私自身は、4人兄弟の末っ子で幼い頃から兄に可愛がってもらっていましたが、自分自身も「自分より年下の子を可愛がりたい」と言う想いがあり、実は若い頃に一度「保育士」を目指した経験があります。大分での生活で、時間的にも精神的にも余裕を得られたのか?昔の夢を思い出し、そして「この夢も叶えよう!」と、40代でチャレンジを決め、5年越しで夢を叶えることができました。

失礼ですが…40歳を過ぎての資格取得・転職は大変だったのでは?

そうですね。大変な部分も沢山ありましたが、家族と周りの支えもあって資格を取得することができました。そして、実は…ここ泉光こども園は、当時私の三男が通っていまして、園長先生に、保育士資格を取得できた報告と同時に「今度は私を通わせてください!」とお願いして働かせてもらうようになりました(笑)気づけば、子どもより長く通っています(笑)

保育士としての一番の楽しいところは?

子ども達の成長がこんなに間近で見ることができる事に、毎日感動していますし、子どもだけではなく、保育を通して自分自身も常に成長できることが楽しさですかね。例えば、ピアノを片手だけですが弾けるようになった時は、子ども達から褒められて嬉しかったです!子ども達に負けないよう、まだまだ成長とチャレンジを続けていきます!

最後に大分への移住や保育士を目指す方へ一言

夢は諦めない方が良いと思います。 「やってみよう」と思ったことは、きっといつか「誰かが背中を押してくれる」ので、いつからでも遅くないと思います。50歳過ぎのおじさんでもできているから大丈夫です(笑)そして、大分は自然と温泉、リフレッシュする場所が多いので、一緒に仕事をしながら毎日リフレッシュしてみませんか?